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上関原発を建てさせない山口県民大集会 -福島を忘れない さようなら上関原発ー [原発]


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「NON」を掲げ、原発反対の意思表示をする参加者」

 3月21日、山口市内にある維新百年記念公園に4000人が集まりました。目的は「上関原発を建てさせない山口県民大集会-福島を忘れない さようなら上関原発」に参加するためです。


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 オープンニングは威勢の良い宇部太鼓で始まりました。

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 続いて事務局長の草地さんが「祝島島民が上関原発に反対してきた32年間の思いを県民全体の意志にするため昨年同様県民集会を開いた。上関原発建設計画は楽観できる状況ではない。安倍内閣は再稼働に突き進んでいる。福島の事故を繰り返してはならない。どの原発も動かしてはならない」と挨拶されました。

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 共同代表の那須さん、田川さんは安倍政権と山口県政を強く批判し、そういう思いを周りに伝えようと提案されました。


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 メインスピーカーの武藤類子さんは被ばく労働者が劣悪な環境で賃金を搾取されていることや子どもたちに対する人権感覚がないこと、高濃度の放射性廃棄物を燃やすための仮設焼却炉を500億かけて作ろうとしていること、仮設焼却炉なので環境アセスが不要なこと、それを三菱、日立など原発で儲けた企業が受注していることなどを暴露。また今の福島を戦争状態に例え「機関銃はないが命が脅かされている。しかし放射能に対する不安や疑問を口に出すことができない。生きる権利が奪われている。」と言われました。そして、二度と同じような悲劇を繰り返さないよう事故の原因究明と責任者を処罰させるために東電を刑事告訴していると言われました。



 次に祝島や上関町町民から発言がありました。

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 上関原発を建てさせない祝島島民の会の清水代表はボウリング調査や埋立を強行しようとする中国電力の作業員に対し、祝島の漁業者や全国の仲間と辺野古のような闘いを行ってきたことを話された後、「今日の田ノ浦は木々が青々と茂り、海も汚れていなかった。今後も田ノ浦の海と山を守っていきたい。計画が撤回されるまで全力でたたかいます」と訴えられました。


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 中国電力に訴えられている岡本さんは「僕たちの生きる権利、表現の自由、豊かな自然を守るためれからも闘います。」と宣言されました。


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 上関の自然を守る会の代表高島さんは田ノ浦やその周辺の素晴らしさを伝え「原発を頼らなくても自然を活かした道がある。奇跡の海を子どもたちに残したい。上関原発建設計画を中止させよう」と訴えました。


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 上関原発を建てさせない祝島島民の会の山戸事務局次長は祝島漁業者による公有水面埋立免許取り消し訴訟で原発建設により生命・財産が奪われる危険性を訴えてきたことや山口県は手続きをしただけと思っているかもしれないが、島民の人生を苦しめていることなどを説明した後「海の埋め立て申請の免許を失効させることが上関原発を白紙撤回させる大きなステップになる」と訴えました。

 その後、知事に対し埋め立てを認めないように求めた集会宣言を採択し、「NON」を掲げるパフォーマンスを行いました。
 最後に400メートルのデモを行いました。デモの参加者は2000人。青空の下「原発いらん!命が大事♡」とシュプレヒコールを上げながら歩きました。

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 会場の周りにはいろんなマルシェが40ブースありました。8・6実委は「戦争と被ばくを許さない写真展」を行い、パネルを20枚ならべました。写真を見られた高齢の広島出身の女性は「私は疎開していて被爆せずにすんだが、家族や親族が大勢死んだ。家も燃えた。戦後家を見に行った父が焼け残った庭の石を「さすがに石は燃えんかったの」と言いながら蹴ったら、ボロボロに崩れた。戦争は何もいいことがない」と話して下さいました。
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 今の福島も沖縄もそして岩国も戦争状態です。銃や戦車で殺されなくとも、人権が踏みにじられています。武藤さんは「自分の頭で考え、行動しよう」と言われました。人権が踏みにじられる行為には「NO」と言いましょう!

2015年全国被爆二世交流会 [原爆]

 2月14日〜15日にかけて、長崎市長崎県教育文化会館において2015全国被爆二世交流会が開かれました。全国から多くの被爆二世や支援者が集まりました。
 本年は、被爆70年という節目の年に当たり、私たち被爆二世に課せられた使命は増々大きくなっています。特に、被爆一世の多くが他界し、生き残った被爆者も、自らの被爆体験を話す最後の機会が近づいています。
 こうした被爆者をめぐる状況のなかで、今、被爆二世が被爆体験をどう継承するかということが、大きな課題となっています。長崎の証言の会の山川剛さんがこのことを3つの柱に分けて論じられ、歴史的及び科学的そして多面的に分析されました。特に、「教育というのは、自分が経験していない事を想像する力を身につけること。」だと訴えられたことには、強く共感しました。
 以下、講演の要約を記します。

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「被爆体験をどう継承するか」 〜語り継ぐ上での諸問題〜 
 はじめに、教え子の高校生が作ったリポートをもとにそこから、読み取れる3つのポイントをひも解かれました。

《夏休みに東京に行ったとき、友達に「長崎では9日は登校日だよ」と言ったら、
原爆投下の日を知らなかったらしくて「変なの」と言われたので教えると
長崎って戦争のイメージがあるから行きたくない」と言われてショックでした》。

 下線を引いた3つの箇所に注目して、
①普通の高校生が8月9日に長崎に原爆が投下されたという事実を知らない。
②長崎の高校生は、1970年に始まった平和教育によって同じ高校生に教えることができる。
③平和教育の目的をしっかりとつかむ必要がある。
 まず前提として、何のために伝えるか(目的)を明確にすることだ。当たり前のことのように見えて、そうではない。
 語り部をする際、以前、長崎市から「政治的なことは言うな。科学的評価が定まっていない劣化ウラン弾の被害等については語るな」というような指針が出たことがある。
 これは、許せなかった。被爆者は思い出話をしているのでは無い。今とこれからのために、非核、戦争廃絶(非戦)、平和な世界の実現のために話しているのだ。

だれが伝えるか
 次に3つの柱の1番目としてだれが伝えるかという担い手の問題がある。
 まず、被爆者、その中には直接や入市や救護•死体処理にあたった人や胎内被爆者の方がいるし、被爆遺構が伝える場合もある。
 次に被爆二世や三世が語り継いでいる。子どもに話していない被爆者も多いが、被爆者の一番近くにいて、被爆者の戦後の生き様を見て育っており、ぜひ今からでも遅くないので親に質問して聞きとって欲しい。
 そして圧倒的多数の非被爆者がいる。その気があればだれでも、語り継ぐことができる。
 最後に、継承の重要な担い手としてマスコミを上げられた。その上で、上記4つの被爆体験を引継ぐ担い手の全てに外国人が存在することと、被爆体験の継承のセンターとなる場所が必要だ。

何を伝えるか
 3つの柱の2番目として何を伝えるかと言う中味の問題がある。被爆の実相を伝えるために、キノコ雲の下で、人間のいのち・暮らし・環境はどうなったのか。今を生きる者の責務として可能な限りの被爆証言や克明な科学的諸調査、さまざまな資料によって原爆とはなんだったのか、原爆は人間に何をもたらしたのかを明らすることだ。
 そのうえで、二度と被爆者をつくらない、他の誰も被爆者にしてはならないという被爆者としての思い、願い、生き方を引継ぐことが大切だ。

どう伝えるか
 3つの柱の3番目は、どう伝えるかという伝え方の問題を話された。内容も展開もワンパターンにならないように努力し、語る側と聞く側のずれや溝をどう克服していくかということも重要な課題だ。教材が持つ残酷さと学ぶ側の発達段階の問題も軽視してはならないし、現場の実践と研究者の理論双方からのアプローチが大切だ。

 最後に、被爆体験の継承=明日への伝言という作詞:山川啓介 作曲:いずみたくの歌を紹介して話しを終えられた。
 これから、被爆体験を引継ぐ上で示唆に富む大変貴重なお話だった。


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 続いて、「被爆二世運動とフクシマとの連帯」というテーマで、振津かつみさんが福島の現在の状況を丁寧に話しながら、
被爆二世と福島の被曝者が結びつくことで、ヒバク者差別を許さず、ヒバク者が安心して生きていける社会を作り出すことが可能であると訴えられました。
核と人類は共存できないことを改めて確認しました。

 2日目には、各県の活動報告や二世協の活動報告と方針が提起されました。
 その中で、今回新たに被爆二世の援護を求める署名が開始されることが表明されました。(正式に決まり次第ご報告いたします。)
 2日間に亘る交流会の中で、被爆体験を話すことが出来ない被爆者の体験の重たさや被害や加害をはらんだトラウマも含めて被爆者を理解し、
その生き様を肯定して未来に活かせるのは、やっぱり被爆二世なのではないかという論議にもなりました。
 私たち被爆二世は、核の被害も戦争も無い世界を実現するために、被爆者が未来に紡いだ平和の使者なのだと改めて感じました。
共に頑張りましょう!
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